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テクノロジーに対してあれだけ革新的な思考ができる人びとが、どうして既存の社会システムにいともたやすく敬り込まれてしまうのか。
私のやっかみを差し引いても、現実社会に対する彼らのナイーブさと無頓着さに、ちょっとうんざり、がっかくさせられるのである。
「第二次世界大戦後、アメリカの企業は過度に単純化して残酷な組織になく果てちゃったんです。
テクニカルNPOが出てきたのは、こういうやり方じゃない、もっと違った方法で世の中のためになることをやろうと言いだす人が増えてきたということでしょう」。
テクノロジー業界のひと撞りの人々は、NPOになら企業にも政府にもできない何かを補い、それによって最終的には社会を変えられると信じているのだと、ケールは言う。
 ケール自身は、マサチューセッツ工科大学を卒業したのち、在学中に開発した検索技術をもとに起業し、その会社をAOLに一五〇〇万ドルで売却。
さらにその後ウエブのユーザ-・パターンをモニターするアレクサ・インターネット社をアマゾンに二億五〇〇〇万ドルで売却したという、マルチ・ビリオネアである。
失礼ながら、一見したところ富豪にはとうてい見えないが、IAも設立当初の数年間は私財を数百万ドル投じて運営していた。
 自分の力で世界を変えられると信じているこの 「当事者意識」、そしてそのためにテクノロジーを用いた壮大な実験を行っている人々。
こうした人がいることが、このシリコンバレーという地域の真に面白い力学だと感じるのである。
 さて、ケールがなぜすべてのウエブページをアーカイブ化しなくてはならないとこだわっているのか。
そこにはとても興味深い視点があるので、それについては次回のコラムでお伝えしたい。
「現代のアレキサンドリア図書館」を目指すある富豪の物語グーグルの「崇高なミッション」に潜む危険 インターネット・アーカイブ (-<) の主宰者、ブリユースタ-・ケールが「あらゆる知識に普遍のアクセスを提供する」ことを目的にしているというのを聞いて、これはどこかで耳にした言葉だなあと思った。
記憶をたどるのはやさしい。
源がグーグルだからである。
グーグルは社是に、「世界の情報を組織化して、普遍的なアクセスと利用を可能にする」と掲げている。
 IAは新旧のウエブページだけでなく、書籍、テレビや映画などのデジタル・アーカイブ化作業も進めている。
ことに書籍では、米国議会図書館との協力のもとに大掛かくなアーカイブ化に着手している。
一方グーグルも、大学の図書館や一部の出版社と提携して書籍をデジタル化し、その内容をインターネットで検索できるようにしている。
「ああ、書籍では同じようなことをやっているんだ」と思い、ケールにこう尋ねた。
「で、書籍に関してはグーグルとどんなふうに協力しているのですか? グーグルの書籍アーカイブもいずれ統合されるのですか?」 返ってきた答えは意外なものだった。
「そう願いたいところですがね、グーグルの書籍データは、今のところひどく閉じられたままなんです」 ケールが何百万ドルもの自腹を切ってでも、IAというデジタル・アーカイブを確立しようと使命感を燃やしている理由は、まさにここにある。
彼はこうも言った。
「パブリッシャー(出版社) というのは、それが書籍のパブリッシャーであれ、ヤフーやグーグルのようなインターネットのパブリッシャーであれ、自らの利益を生み出すために動-商業的存在なんです。
だからその時々の都合次第で目的が変化する。
しかし図書館やアーカイブは、もっと長期的な視点を持っている。
そもそも、その視点自体が図書館やアーカイブといった組織の存在理由でもあるのです」 これまで熟考しないままにいたのだが、この言葉を聞いてグーグルが「広告も役に立つのなら、それは情報」といった類いのせりふで「無料だけれど広告つき」 のサービスを展開しているその意味を、もう少しょく考えたほうがいいのかもしれないと思った。
 小さな広告はもはや気にならなくなっているインターネット・ユーザーは多いだろうし、商業活動が悪の権化と決めつけるのも古風すぎる。
企業側の商業活動とユーザーの知識を得たい、何かにアクセスしたいという願望を合致させるのがインターネットというものではないか。
ただ、すでに新しい時代にツルリと滑り込んでしまったものの、営利活動とアグーグルの「崇高なミッション」に潜む危険クセスの間で究極的に何が起こっているのか、そして何が起こりえるのか、本当のところはまだよくわかっていないのではないだろうか。
 さらに自分のナイーブさを恥じたのは、ケールの次のことばを聞いたときだった。
「特定の書籍アーカイブへのアクセスが、その出版社やグーグルを経由しないとできなくなるという可能性がある。
つまり、ひょっとすると、インターネット上にはいずれプライベート・ライブラリーしかなくなってしまうのではないかという危供が、われわれの間にはあるのです」 出版社とグーグルが著作権問題でもめているのは知っていたが、書籍のデジタル・アーカイブ化という問題は、やり方によってはとんでもない結果となりうるのかもしれない。
グーグルがその資金力と人気を背景に多数の出版社をまとめて巨大なプライベート・ライブラリーのようなものを構築し、それが著作権の壁で閉じられてしまうというシナリオもありえるだろう。
あるいは合意点が見つからず、出版社がそれぞれにつくるプライベート・ライブラリーが乱立するというシナリオもなくはない。
 いずれにしても核心は、知識が私有化されたり、商業的プラットフォームにだけ存在することになってもいいのかという、もう哲学的、社会的、歴史的問題でもあるのだ。
「企業はいずれ変化する」。
ケールがそう言ったのは、今はユーザーにとってオープンで便利に見えることでも、それが永遠に続く保証はどこにもないと肝に銘じるべきだという警鐘なのだ。
 知識はパブリック・ドメインに存在すべきだと信じるケールのような人にとって、今は切迫した事態である。
何といっても、デジタル・アーカイブのありかた自体が、刻々と定められつつあるのだ。
テクノロジーとインターネットの進化という不可抗力の中で、ここはひとつの考えどころかもしれないと感じた。
グーグルの「崇高なミッション」に潜む危険。
なんでも無料のネットの世界でも「ゆずれない一線」はある。
 以前、このコラムでインターネット・アーカイブ (-<)という非営利組織について触れたことがある。
IAは、インターネットのウェブサイトや映像作品、テレビ番組などのデジタルデータをアーカイブ化しており、中でも全米の図書館にある膨大な数の書籍をスキャンして、巨大なデジタル・ライブラリーをつくろうとしている組織だ。
IAの主宰者であるブリユースタ-・ケールは当時、未来のデジタル・ライブラリーが商業目的の企業傘下にあるプライベート・ライブラリーばかくになってしまうことを危供していた。
 10月二二日付(二〇〇七年) の新聞で、そのデジタル・ライブラリー合戦がいよいよ本格化してきたなあと思わせる記事に出くわした。
ニューヨーク・タイムズのその記事によると、全米の図書館は今、グーグルやマイクロソフト、ヤフーなどの商業デジタルエフイブラリーにスキャンをゆだねるところと、それに抵抗するところに二分されているのだという。

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